オイコスの会 |

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「オイコスの会 @京都」第五回目のシンポジウムもいよいよ四日後となりました。

「オイコスの会 @京都」主催による第五回シンポジウム開催も間近となってまいりました。
現在(6/25)お席は10席ほど余裕がございますので、参加をご希望されます方は、
急ぎお申し込みをお願い致します。
※ お申し込みは、この一つ前の案内にございますメールフォームからお願いいたします。

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今回の講師のお一人でもあります岩本沙弓先生のパーソナルメールでご紹介下さって
おりますピケティ氏に関する記事を、ここでも読者の皆さまにご紹介させて頂きます。

To put it bluntly, the discipline of economics has yet to get over its childish passion for mathematics and for purely theoretical and often highly ideological speculation, at the expense of historical research and collaboration with the other social sciences. Economists are all too often preoccupied with petty mathematical problems of interest only to themselves. This obsession with mathematics is an easy way of acquiring the appearance of scientificity without having to answer the far more complex questions posed by the world we live in.

『単刀直入に言わせてもうらけど、経済の分野は依然として数学に対する幼稚な情熱とか、純粋な理論や、時に極端なまでのイデオロギー的な推論から抜け出せないでいるんだ。歴史的な研究や他の社会科学とのコラボレーションはその犠牲になっているよ。自分だけが関心のある、どうでもいいような数学の問題にふけっている経済学者が多すぎるんだ。この数学への脅迫観念は科学っぽいものの姿を捉えるのには簡単な方法だけど、実際に我々の住んでいる現実世界の、もの凄く複雑な問題には何にも答えてないからね。』

こういう書きっぷりがこの『21世紀における資本』には随所に見えて、共感すると同時に読んでいて面白いなあ、と思うのですよね。

この続きは是非、ご一緒に。それにしても当初はマルキストとレッテルを張り、それが有効でないとわかると(海外ではピケティ氏を無理矢理マルクスに重ねるしか反論が出来ないのは、批判の程度そのものが知れている、というような論調になってますからね、)今度は丸っきり無視ですからね。世界のベストセラーなんですけど、大丈夫か?日本の主要のメディア?と書いておりましたら、こんなインタビュー記事が。

http://www.asahi.com/articles/DA3S11188946.html

こうした動きがつながっていくとよいですね。(「共産主義に魅力を感じたことは一度もありません」と書いてありますから。)

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今回、トマ・ピケティの「21世紀における資本」を取り上げることになり、
「オイコスの会 @京都」のスタッフである私たちなりに勉強をしてみました。
といいましても、さすがに講師の先生方のようにフランス語版、あるいは英語版でのこの著書を
読みきることは難しく、まずは序論だけでも・・・と英語と格闘しながら
予習を試みたわけです。
で、メンバーのお一人のこの序論を読みきった感想もここにご紹介とさせて
頂きますので、是非お読みいただけましたらと思います。

トマ・ピケティの著作に触れたとき、極私的に色々なことを考えています。いま私の頭の中のその中心にあるのは、
「Wealth(富)とは、いったい何なのか?誰のものなのか?」です。

富をお金と交換することができるなら「富=お金」なのでしょう。
でもそれは直感的に違うと思う。富と言うものはもっと豊かで普遍的なものだと思います(人類史にお金が出現する前から「富」は存在していたとも言えると思うからです)。

お母さんが子供の世話をしている、
農家さんが田植えの準備を始めている、
セールスマンが大きな荷物を抱えて歩いている、
魚屋さんが今日のお勧めを店頭で叫んでいる、
小学生が「ありの~ままの~♪」を歌いながら通り過ぎていく、
バスが時刻通りにやってくる…
世界のあらゆる人間の行為、生活の場面で「富」は、いまなお絶え間なく生み出されていると思います。

お金の役割は、その絶え間なく生まれる「富」を世界に循環させて、
世界が等しく分かち合い豊かになり、次世代へその豊かさを受け継がせていく、継続する生命を思いやる「富」のための人間本来の知恵の道具ではないのか…?

でも今やお金は、本来の役割をすでに失い、現代さらに一部の層にに集中化しそれが固定化されて、「富」の分配が機能しなくなっている。これが行きつく先は、人類が生み出す富の豊かな循環を断ち切ること=人間社会の緩やかな死と同意ではないのか…?

トマ・ピケティは、
(出来るはずなのに)誰も向き合おうとしなかった客観的事実を正々堂々と開示して、この人類史の危機を乗り越えるアイデアを提起します。
それは「結論」としてではなく、
「さぁ事実から始めようじゃないか。みんなの声を考えを聞かせてくれ」と言った姿勢です。

そんなトマピケティを考える時、わたしの頭の中に流れる曲があります。

椎名林檎「ありあまる富」。
わたしには“お母さんが子供に語っているよう”に聞こえる。

「ほらね、君には富が溢れている♪」



注意)ピケティ著作は「Wealth」は「富」と共に「財産」の意味で使われることがあります。


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  6月29日(日) 10時30分 ~ 16時(予定)

  京都国際交流会館にて開催致します。
 
  

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